こんな非常時に海外にいる、ということ。

                          2011.3月

 

 このたびの大震災、原発の深刻な状況等、軽々しく口にできることではありません。まして私は、国のお金で、海外に今いる身です。

 きっと日本に帰ったら、「海外に逃げててよかったね。こっちは大変だったんだから。」と言われることでしょう。

 

 震災に直に遭われた方々の心情を思うと胸が詰まります。いや、もし自分の身の上に同じことが降りかかったとしたら、とても耐えられないかもしれません。

 

 私にとって、日本の情報は、連日の新聞、TVなどの報道による震災のものばかりです。現在、日本に身をおいていないということがこんなに苦しいことだとは想像もできませんでした。離れているから、外国人の中だから、余計に感じなければならない辛さもあるのだということが分かりました。

 

 当日は、「日本人の忍耐力や、冷静さ、精神の美しさ」などが報道され、多少の救いになりましたが、後日、行き過ぎた誤りの報道、東電の常態化した隠蔽体質に報道が及ぶと、国民として、本当に心が苦しくなってしまいます。“同情され応援されるべき国”、が、“政治がリーダーシップも発揮できない、放射能を撒き散らす国”としての非難に変わってしまうかもしれない。唯一の被爆国であるにもかかわらず、原子力にべったり甘え、あげくこのずさんな管理体制・・あきれられても文句は言えません。精神、指針のありようが、全く見えない私の国。

 

 海外で作家として活動する際、たくさんの他国民の中の一存在として、心のどこかで持ち続けなければならないものがあります。そのひとつである日本人としての自負が、ぽっきりと折れてしまいそうになります。

 そもそも、日本人の、“自尊心”や”アイデンティティー”って、なんなのでしょう?いつもへらへらして、喧嘩があると、「まあまあ・・」といってなだめ、そのくせ南野建設的発言もせず、宗教も持たず、何を考えているか分からないやつ。というのが典型的な日本人のイメージでしょう。しかし、それは面白いことに、ヨーロッパにおける、フィンランド人に対するイメージと極めて類似しているといわれています。確かに私は、彼らと精神的な隔たりを感じたことはありません。すごくリラックスして普通に話しができます。本当に、私たちと似ています。ただし、あるとき大きな違いに、私は気づきました。

 

  

 

 でっかい写真。各誌、しっかり取材してもらいました。かなり深い話ができました。

 私の活動を取り上げてくれた新聞のいくつか。たまたま震災と掲載時期が重なってしまいました。初夏には、チャリティー展を開いてもらい、被災地に寄付する。・・しかし・・今度の新聞は、なぜか嫁さんのアップ!後ろでコソコソ写っているてるのが私・・・主催者さんの計らいで、日の丸を載せてもらいました!!

 

 

 

 

 そういえば、私たちの世代は、「国を愛する」ということを肯定的に教わったことがありません。それを口にすると、まるで危険思想の持ち主のような眼で見られてしまいます。すくなくとも、私の学生時代は特に。

 私たちの歴史は誤りの繰り返しであり、恥ずべきものである。他国に酷いことばかりをしてきた国で、その象徴として、「日の丸」があり、「君が代」がある。悪い無謀な過ちを犯したばかりに、ある日天から『原爆が落ちてきた』

 

 それは、私たちの世代を指導した教育者の、教科書にない、共通認識のようなものでした。他国の人は、私たちがそんな卑屈な教育を受けてきたことをまるで知りません。それゆえ教科書問題をとっても、まるで私たちが、今なお誤った歴史を洗脳教育されているように解釈され、ヒステリックな批判をうけているのが現状です。

 国を愛することをネガティブに教育されることの恐ろしさを、今身に沁みて実感しています。「日本を見ないで、私個人を見て。」そんな理屈、海外のどこへいっても通用しません。自分の育った国の文化を愛さない人間など、どこへ行っても信頼されません。そんな人間が、「あなたの国が好きです。」といってやってきたとしても、なにかいやなことがあったらすぐ、「やっぱりそうじゃなかったです。」と、逃げ出すに違いないからです。腐っても、“私の国”!!どこか捨てきれない素晴らしさが残っている! 

 

 大戦の反動とはいえ、自嘲教育はいきすぎていました。自国の歴史、文化の全てとはいわない、しかし、大局を見てやはり、それを大切に思わざるをえない気持ち。それはその国に暮らすものとして、最低限持たなくてはならない、アイデンティティーであり、責任であり、誇りではないのか。何ゆえ、『日本人』なのか。我々は、何を『かけがえない』と思うのか。

 

 それらを否定するような教育を施した教育者を、自らの自尊心を封じ込め、罪悪感と卑屈な心情を刷り込んだコンプレックス教育を、私は恥じます。軍国主義と、国を愛する気持ちは、全く違うものだとなぜ強調しないのか。我々は、他の国の人たち同様、独自の素晴らしい文化を持つ、誇らしい存在だとなぜ声高にいえないのか。

 

 このフィンランドにいると、強くそんなことを思ってしまいます。

フィンランドには、“SISU”という言葉があります。これはそのまんま、“愛国心”と訳していいでしょう。国を愛し、大切に守りたい熱い魂。どんなフィンランド人にでも、この言葉は深く響き、それを聞くとき、老人から子供まで、彼らの眼の色が変わります。胸をとんとん、と押さえて、「ここだよ!」と言います。自然と人を愛する彼らは、その延長に自国を見据えています。

 

 震災後のある日、私はある知り合いの家の晩餐会に招かれました。驚くことに私の席上に、日の丸が立てられているではありませんか!フィンランドの国旗とともに。

「私たちは、仲間! 頑張れ、日本!!」という意味です。その心遣いに感激してしまいます。本当に泣きたくなるような思いでした。

 彼らは本当に思いやり豊かな、それはやさしい、やさしい、ひとたちです。いつも助けてもらい、文化の差異を感じないほど、身近な存在です。

 

 長く話しているうちに、「実は、多くの日本人にとって、日の丸と国歌は微妙な意味を持つんです。」と説明すると、相当驚いておられました。アメリカの占領下においてなされた教育内容、また、戦後、共産主義者たちの得た自由と夢、そして教師たちの描いた理想と矛盾・・

 

 フィンランドは大戦で、隣国から蹂躙され、おまけに理不尽な“賠償金”のため、ガタガタに疲弊したにもかかわらず、大統領自ら国民に語りかけ、奇跡の復興を遂げました。「苦難を乗り越え、今は耐えよう!みんなひとつになって新しい国づくりをしよう!」リーダー自らの呼びかけに、国民は応え、長い時間をかけ、総力で国を生き返らせたのです。それゆえの、世界トップレベルの福祉国家であり、教育水準の高さであり、“SISU”なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 SISU の彫刻家の力作。

 

 

 

 作家としての幼少からの夢を実現すべくフィンランドへ来ました。また、「自国の良さをしっかりと受け止め、他国から学びたい。」そう思い、ここへ来ました 

 しかし一方で、自国の美しいものを平気で破壊し、そのことに痛みも感じない今の我が国の有様を愛せずにいます。現状の日本の美術文化レベルは、そんな感性ゆえ極めて貧しいと考えています。しかしわたしたちは、「日本には何でもそろっていて、ハイテク・ハイセンスの国だ。」と信じて疑わない。そこに間違いがあります。

バブルはその慢心の末とうに崩壊したというのに、いまだ「JAPAN神話」に固執している。反省の上の自尊心をもつことは良い、でも、いまだ中身はバブルのままだ。足腰が完全に宙に浮いてしまっていることに気づこうとしていません。 

 

 確かに私たちの『今』の美的な感性は貧しい。今それなりにセンスよく見える部分があったとしても、すぐに枯渇することは目に見えています。それは私たちの『今』の社会生活のアンバランスさが高じた結果だと考えます。貧しい地盤に豊かな美的感性は育ちません。

貧しい地盤、とは、そのまま日本の土壌、そのものを意味すると考えていいと思います。草木が健康に育つ、と言う意味での土の質。 

 

 身の丈にあった生産、エネルギー消費、農林水産業、そして舞台となる自然環境のバランス。輸出入に依存しすぎない、国家としての自立力。

 別にかぶれているわけでもなんでもなく、フィンランドはそのバランスがじつによく取れていると思います。僅かな人口だからと言うこともありますが、少なくともこの国には、「国民人口の増加が、生産を増やし、経済を育てる。」という日本の常識が当てはまりません。エコロジーとかいう日本だと極めて胡散臭く聞こえる言葉も、ここではあくまで、“ふつうの日常”として機能しています。 

 日々窓辺にやってくる鳥の名を誰もが口にし、ちっぽけな昆虫にまで、自然の一部として興味をもって接しています。季節ごとの生き物たちの姿に常に五感を働かせ、風土を実感している。人に対して愛想のいい犬畜生と、猫畜生しか愛せない日本人のエセ動物好きとは、土台から違うのです。

 

 あるフィンランドの女性誌に、面白いものを発見しました。水色やピンクをあしらった、ガガンボ(蚊、のデッカイやつみたいなの)の、どアップの写真をデザインした広告が載っておりました。若い娘向けのアパレル広告でした。

 ありえん!と思いましたが、なんとも奇妙に面白い。「虫だから、キライ」なんて、こちらの人はあまり言いません。先入観をなくしてみれば、なんて不思議で美しい造形なんだろう、という純粋なまなざしが感じられます。それってデザインの根本じゃないか!!

 日本古来の工芸品、印籠や、櫛、女性用の装身具のデザインには、こうした昆虫のデザインがよく使われていました。特に鎌倉~江戸初期あたりの造形美には、驚嘆します。あくなき自然への好奇心と憧れ、畏敬の念が生み出した高度な感性と言えるでしょう。

 フィンランドのいろんな場所で、「おい、おい、これって日本人の美意識だろう?」って思うようなものに、数多く出くわしました。

 

 

 

 

 マリメッコデザインの源?マリメッコデザイナーである作家のお宅のトイレに貼ってある生き物図鑑。生命すべて分け隔てなし。 (勝手に載せてすみません。)

 

 

 くまんばち。これの話をするとき、なぜかフィンランド人は得意気?

「部屋に迷い込んできたら、こうやって逃がしてやるんだよ。」

グラスをそっとかぶせて、はがきで蓋をします。

 

 

 

 

 

 うお~!! これのために苦労して来たんです!!

 紅茶色の有機的な透明感! ピート層を透過した弱酸性の軟水。(PH 5,8~6.2)

心の奥からぞくぞくと揺さぶられるようです。

 しかし、私たちもほんの数十年前まで、このような水景を維持していたのです。身の回りにごろごろと。生態系も、同質の水ゆえ類似しています。

 

 私たちは自ら最も尊い物を破壊しました。Japan Originalの生態系はもう帰りません。

 失っても補えるもの、取り返しのつかないものの違いに、私たちは今、気づいているのでしょうか・・・

 

 私の絵のテーマは上記のような水辺の生態系と人の有様についてです。

 しかし、日本で作画のコンセプトについてコメントを求められた際に、環境の破壊について言及すると、すかさず、「ああ、このテの作家か!」と、レッテルを貼られてしまうことがあります。”エコ” ”自然保護” 「そっち系」の人、という見られ方です。

 「そんなものはノスタルジーに過ぎん、若いくせに何を狭い世界に閉じこもっているんだ!」と、とある美術館長に一括されてしまったこともあります。

 

 ちがうのです、それこそ狭い視野でとらえられた偏見と言うものです!

 生態系とは、悠久の時を経て築かれてきた生命の循環であり、歴史。美しくも恐ろしくも、そこを垣間見る人間にとって、実にリアルな現実そのものなのです。

 毎日毎日、その中で遊び、様々なものを発見して来た者にとって、それの喪失は家族や親類と過ごした時間を喪失するのと同様の意味があるのです。

 かつてあったはずの、自己の人間性を育てた、想像力を育てた舞台が、いまや原形をとどめず、記憶の中にしか存在しません。そしてまた、人の記憶ほど曖昧なものはありません。日々薄れ、日常に飲まれて霞んでゆきます。それではいったい、個人のアイデンティティーにとって、確かなものとはなんでしょう。年月と共に、自分の心がどのように変化しても、変わらないものはなんでしょう。生態系の通った大地の存在、人を含めた生き物の営みを支える土台の環境。我々の存在の根底にあるべき大地の歴史を、そのように簡単に破壊しつくして良いものでしょうか? 

 確かにかつて、”それは私と共にそこあった”と心から思える生き物たちの世界が、もはや今、どこにも残されてはいないのです。恐ろしさを感じないほうがどうかしています。それは単に過去を懐かしむ、と言うような軟なことではないのです。個人の記憶の中のノスタルジーに酔うような甘っちょろいものではないのです。悲惨なリアリティそのものなのです。生活環境の表層しか見ないような近視眼的な感性だから、この恐ろしさが見えないのです。

 

 しかし、時にだれかにそれを話しても、「そっち系ね。」と思われてしまうのが落ちなのです。そのような人たちはほとんど、身近な自然に対する興味、関心をもってはいません。海外旅行は好きだけど、観光地の”絶景スポット”や、ハイキングコースのお散歩は好きだけど、近くにあったはずの小さな藪や沼、クヌギの暗い樹間には目も心も向けはしません。自然なんてものは彼らには、都合よく時々開くことの出来る絵本のような存在であればいいのです。

 わたしは極端なエコロジストや、妄信的な自然保護活動家ではありません。誰に言っても心情を分かってはもらえませんし、人にそれを話すのもイヤになってしまいました。だから絵を描くのかもしれません。しかし、それを実感するとき、日本に暮すことが心底憂鬱に思えてしまうのです。

 

 

 

 

 彼女のアトリエの一隅。美しい空間。(築100年、もと牛小屋!)

 

 

「家に来い!」「うちの学校に来てなんか一芸しろ!!」としょっちゅう誘っていただきます。どこへ行っても歓迎してもらえています。その理由は、彼らが愛するものを、私も大切にしていることがきちんと伝わっているからです。彼らもそれがうれしいのです。

 陽光を追っかけ、いつも一緒に木々の種類や鳥の名前、魚、料理の作り方など、自然の中で学び、働き、感じてきました。

 ただ一番忘れてはならないことは、わたしのその感性の素地は全て、すでに日本で体験し育ててきたものだということです。 根底は日本で培ったものなのです! 日本の環境をつぶさに見てきたからわかるのです。感性の源は日本もフィンランドも一緒なのです。ただそれを大切にするかどうかの違いだけ。

 

 なんて自由なんだろう、心穏やかにいられるんだろう。会話の必要すらなく、私は心の奥から開放されていくような気持ちになります。紅茶の色をした湖水に浸ってゆくように、穏やかなものが染み渡ってゆくようです。

 

 

 

 自然と言う全ての手本の下の体験があって、はじめて文化的な美が生まれてきます。

 今の私たちにはそれがほとんど残されておりません。せいぜい児童教育の中でも図鑑で知るか、テレビで見るか。

 

 こちらの教育は全て体験型。算数でも、国語ですら、体を使った遊びを取り入れたりして、五感を働かせ、実体験からの学習が重んじられます。自然を学ぶときは、当然参考書を閉じて表に出ます。森で野生動物を観察するなら、雪に埋もれてしまったり、ぬかるみにはまったり、ダニにかまれたり、いろいろするでしょう。

 

 実際フィンランドには何種かのやっかいな吸血虫がいます。蚊は言うまでもありません。マカラという小さな吸血虫や、翅のないアブの一種で通常はムースやトナカイに寄生するもの、など、体中を這いまわります。ベリー狩りや、キノコ狩りに出かければ、四季折々、いろんな出会いたくない虫と遭遇します。(ヒルなどはいないと聞きました。)好き、嫌い、を超えていやな存在にも出会い、体験し、知ることが尊いのです。

 

 フィールドにおいて野生動物を見つけることはたやすくありません。無数の足跡から気配を察し、その種類を特定し、糞から、食性を学んだり。その上で、手の届かぬ遠いところにでも野生動物を見つけることが出来たら、その感動は一生忘れられないものになるでしょう。それが日々、繰り返されているのですから、自国の自然を理解することはかれらにとっては呼吸をするような当たり前のものとなります。

 

 ディズニーアニメみたいに、えさをやって、頬ずりしてあげて、動物がニッコリ笑う、そんなのは人間のご都合主義の産物です。野生動物の美しさは、厳しい野生の掟の中で淘汰された結果であって、それゆえ気高いわけです。我々はそれらの生態を垣間見れるだけで十分幸せなのです。それを知る人が、ディズニーの世界を面白く思うのは理解できます。しかし、日本ではそんな本物の自然から子供を隔絶しておいて、動物図鑑、ディズニー的なもの、トトロ的なものをとりあえず見せておいて、「動物ってかわいいでしょう?エコって大事でしょう?」とかやっています。そんなのハードアニメオタクが実寸大の女の子フィギュアと仲良く暮らしてるのとおんなじレベルです。「だって、本物の女の子は恐いし、ワガママだし、いびきかいて、おならするんだぜ・・! ありえねえ!!」

 一方こんどは頭だけで理想に走って、一部の外国人と妄信的に「クジラを守れ!!」とか言い出す、誠にこまったカルト信者が生まれたりするわけです。クジラもいるかも、どじょっこもふなっこも、全部生き物のはずなんだけど・・トマトやキャベツ、鶏、牛、豚は食べ物だけど、クジラは人間様に近い高貴な存在だと神が定めた生命なんだとか・・野生動物保護のイデオロギーともずれている・・往々にして観念だけで物事を進めていくとそういうことになります。

 

 日本は全ての“危険”とされる自然をフェンスで覆い、護岸壁で埋め尽くし、子供たちをそこから遠ざけています。なぜなら、やんちゃな子供がそこで遊んでておっ死んでしまったら、責任問題になりますから。

 

 子供の命は親の責任。私は家庭での教育により、“危険な自然から身を守り、その素晴らしさを体験する”ことが出来ました。ある時など池でいきなり水に突き落とされたこともあります。「いざとなったらこわいモンやろ?」と。(父は「事故だった。」と言いますが。)

 ゆえに、小学校のルールを守らず、池や川、危険なところにばかり入り浸っている不良小学生として、何度も呼び出しをくらって説教ばかり受けておりました。時には教師に囲まれ、「学校のルールを守らないものは、交通ルールを守らないのと同じ!」 とか厳しく言われ、悩みながら家に帰ると、「そんなもん、教師の決めていいこととちゃう!!ええかから釣り行って来い!その代わり、おぼれても誰も助けるもんおらんぞ。」と背を押されました。泳ぎが達者でも、サバイバル術が子供にしては巧みでも、死ぬときは死ぬでしょう。もし私が溺れ死んでいたら、親は野池の岸に線香を立ててくれたことでしょう。 そんなもんでしょう、それでいいでしょう?

 

 

 

フィンランドでは珍しい毒蛇。動画は収めたのですが、写真はこれだけ・・もったいない、チャンスを!

 

 

Myyra はたねずみ、の屍骸。たくさん見ることになりますが、こっちの人は、しっぽ持って草の上に、ぽいっ!

 

 

絶品、Ahven 小型のパーチ。いくらでも釣れますが、そのうち・・と思ってるうちに食べる機会を逸してしまいました!次は逃さん!

 

 

 

西洋タンポポ。

雪解けしばらくで緑が地面からのぞき始めます。本当に愛らしい植物。成長が早く、毎日眺めてておもわず顔が緩みました。

 しかし、どんなけ伸びるんや、お前・・・

  これだけ伸びるとなんだか怖い・・

 

 

 

 

 冬の冷え切った満月の夜、雪面に大きなものがポツリといました。うさぎです。(フィンランドではこのウサギをカニ、と呼びます。)

 なーんにもいない雪原に満月が一つ、そんな中に遠く、カニはいました。青い青い月の光の中、カニは音もなく向こうの森へ、とーんとーんと、駆けていきました。

「なんて幻想的な光景だろう・・・」そう思って、翌朝ご主人に翌朝話したら、

 

「まだ出やがるか、コノ野郎~!!」

 

「・・・なんで?」

 

 カニはえさの少ない冬場は、りんごの木の樹皮をかじりに来るのです。見てみると軒並みやられていました。カニと、今年の記録的厳冬のせいで、ご主人の大切なりんごの木はかなり枯れてしまいました。

 そこで、マエストロの登場!寒冷地 ラップランドのりんごの枝を接木。春には、ほらこのとおり! 芽が元気に出てきました。

 マエストロの家には、たくさんの接木済みのりんごがありました。

 

 

 

 

 

  環境を考える上で、私たちの小学校教育と、保護者の理解不足も深刻な問題です。

 親世代自体、なにも身近な自然を知ることなく、子孫に残そうともせず、「地球にやさしく」とかいうスローガンだけ有難がる。そこに体験を伴った、思想がありません。

 フィンランドに来る、森ガール(死語)みたいな日本人が、ヘルシンキでマリメッコを買ってる姿は見ても、文字通り森(蚊や、虫がいっぱい)で野生動物を観察し、しゃがんで用を足している姿はあまり見ることがありません。(そもそも森の中で人と出会うこと自体ありませんが…)

 

 こちらの人は、女であれ男であれ、変わりなく、山へ分け入り、斧持って木を切り出し、薪を割る。鳥の鳴き声の日々の変化や、きのこの見分け方、ベリーの種類と食べ方。すべてその大地の上で生き行くため、イキモノとして、当然知っておかねばならない事だからです。

  そう、先日お宅に招いてくださった現代美術家は、(別項でも触れると思いますが)なんとマリメッコの代表的なデザインを手がけてこられた有名な女性で、お宅も素晴らしいセンスでした。(この夏、一緒に展覧会をさせていただくことになりました!光栄なことです。)

 そのお宅は、古い牛小屋をリノベーションしたもので、その作業の多くを彼女がされたそうで、驚きました。ノコと、槌と、斧を「おりゃー!」と、振るう一流の女性デザイナー。「昨日熊が山下りてきたよ。春ね!」と、うれし気な顔。参りました。裏山はベリーの宝庫。「秘密のポイント教えたげるわ!」

 

 やはり、ヘルシンキで活躍される方であっても、足元、土壌とのつながりに、実にたくましいものがあります。彼女の扱う極彩色は、その大胆さ、繊細さにおいても全て実体験から導き出されている気がします。机上だけの妄想のデザインじゃない。だから時代を超えて愛される。彼女は無数のお手本を自然から頂いて毎日吸収し、感性を育ててきました。生まれ持った神がかった力、ではありません。 私たちはいつからか、「土くさい」は「古臭い」ものと決めてしまっています。土が全ての有機的な色彩を生み出す母体だと彼女は言っているような気がします。極めて新しいデザインセンスは「土臭い」ものの上澄みを抽出したものだと思います。

 (日本の子供はお手本を取り上げられたあげく、何も与えられずに「才能・センス」がない、と切り捨てられてしまいます。育てなければ能力なんて身につくわけがないのに。ほんとうにどうして人はサイノーなんて言葉が好きなのでしょう?上から目線で。それこそ人の、思い上がったボンノーと同意語だと思うのですが・・)

 

 

 そこで生まれた美術文化が彼らのリアリティーなのだと思います。私たちの好きなムーミンは、アニメキャラという汚れない理想的なアイコンではなく、トーべ・ヤンソンという怪しげでたくましい人物の実生活から自然発生したものだと思います。深い深い森の闇や、水の怖さが隠れているはずです。そんな民話は日本にもかつては豊かにありました。

 

 

 しかし、嘆いていても仕方がありません。変えてゆくしかありません。私たちが、自尊心を取り戻せるような美しい環境と、生活の関わり合い。地域の全ての生物の生態系と私たちの日常の無理のない融合、ライフサイクル。言葉にするといかんせん幼稚ですが、そうとしかいえません。

 永く受け継がれてきた里山と農業のつながりのように、工業と自然は無理なく関わりあえないものでしょうか。ほどほどの人口で、経済は淀みなく流れないものなのでしょうか。(フィンランドの総人口は東京の人口の半数よりはるかに少ない・・)

 

 私は美しい環境が破壊される姿ばかり目の当たりに幼少期を過ごしてきました。悲観的にもならざるを得ません。でも、嘆くのはここまでにしなくては、いい大人なんだから(?) 作るしかありません。私たちがそれぞれにかけがえのないと想えるような環境。そのため作家は何が出来るのか、何をするべきか。このフィールドワークにその答えを模索しています。

 

 えらく大仰なことのようですが、大事なこと。

今、この機会に、外にいて、痛烈に感じたこと、です。

 

 

 

Tusen takk for dear friends, ありがとうM.Aさん!!

2017、あたらしいBLOG書き込もうと一念発起!! 今年のノルウェー個展は個人的には特別な機会となります。これからぼちぼちかきますのでBLOG2017のコーナーを御覧下さい!

 

 

 

2015 7~9月、はしばらく休めていたノルウェーでの個展企画など美術活動を展開中です。ムンクの研究はわたしの生涯のものですが、現在はなにより、ノルウェー高地の森林限界地域の自然環境の取材を行っております。予期せず決死の活動になってしまっておりますが…冗談抜きに死ぬところでした…  詳しくはBLOGのJotunheimenの項目を御覧下さい!!

 

 

 

2014 7~8月、今年のフィンランドでの美術活動を終え、日本にかえって来ました。 全長8mの巨大な絵画を描き上げてきました。 詳しくは後日BLOGで!!

2010-2011 Works in Finland Virrat16,17がいまさら完成しました。よろしければ御覧ください。

                               

 2011年、北欧ラップランドでの写真展を終え、フィンランド内陸部の湖畔の美しい村で、制作と展覧会、また、国際的なアーティストたちとの刺激的なワークショップを終えました。

 現在は、憧れであった、ノルウェーのハルダンゲフィヨルドに面するオールヴィクで、なぜか楽しいオランダ作家たちと、興奮に満ちた日々を過ごしております???

 『厳しい冬を知らずして、北欧の美術は語れない』との思いで、氷との格闘からスタートした私の留学でしたが、春には現地の誰より薄着になれるほどタフになりました。

 冬から春、夏へと急激に変化する北欧の気候には、ただただ圧倒されるばかりです。 

 すっかり報告が伸ばし伸ばしになっておりますが、私の体験していることを少しずつご紹介いたします。